Be Natural with Arts

"いつもこころに太陽を"

帰国して1年

こんにちは。

ほぼURLを公開していないので、誰が見てるのであろう?レベルなので、日記的なことも気軽に投稿していこうかなと思います。

 

カフェ記事にすべきカフェ巡りは毎週どこかしら行っているので、情報源はあるものの、記事が追いついていない状態です。。これはまだ仕事じゃないから焦らなくていいことなんですけど、忘れていく自分の記憶のために文章に早めにしなくてはと思っています。

 

今日は最近感じることを少し吐き出します。

私は高校生の時に日本にいながら海外の文化に触れ、24時間ずっとその環境に短期間いて、私のどこかが完全に弾けてから、海外への興味が止まりません。

 

そこから渡米したり、海外就職(短期)にも挑戦したりしてきました。そしてやっと今は日本に帰国した感じではいます。気持ちも少し落ち着いてきてはいます。

 

帰ってくるたびに思うのは年齢に値したイメージ。先に言っておくと、誰も何も言っていません。私の親の世代は言われて育ったかもしれませんが、私の世代はギリギリ言われるか言われないかの世間で育ってきたつもりです。

広告も今では前よりもはるかに自由をうたっている内容が多くなってきてるように思います。

(確実に注釈は増えました。)

それでもいつも感じてしまう、息苦しさ。勝手な固定観念

「O歳はこうでなきゃいけない。O歳になったら、〜のような人生の選択肢を選んで生きていくこと=幸せになること。」

 

もう一度言います。

誰も何も言っていません。けれど、そのような時代のあと残りをずっと聞いてきたからなのか、同年代の友達に会うと必ずと言っていいほど、帰り道毎回感じる虚無感と取り残された感じ。

自分の中に劣等感がいつもある感じ。だから、その競争からいつも逃げてきました。

合わないとわかっているから、逸れた人生を選択してきたつもりです。

 

受験をしない、大学は勉強しまくる、海外就職をしてみる、そう言いながらも一番長く働いているのは日本だし、今でも日本に住んでいて

海外に住むことはもういいかなと思い始めているこの頃です。これを言葉にすると「諦め」と言うのではなく、優先順位が「環境」でなくなったのかもしれません。

 

東京での暮らしは、好きなことは今出来ているけれど、満員電車に乗りながらの通勤からはまだ変えることができていないワークスタイルで、ふと天気がいい日にイヤホンで大音量の音楽を流し、現実を消すとあの時のことを思い出します。

アメリカ行きを決めた時。

一人で飛行機に乗った時。

誰一人知り合いがいない街に行った時。

言葉も通じなくて、もがいた時。

ビクビクしながらでもひとり旅に行った時。

赤い橋を徒歩で歩いて好きな街を発見した時。

卒業式でずっと夢だった日本の国旗を肩にかけてガウンを来た時。

目の前に見た雲を下に見る雲海を初めて見た時。

最近では、有名な壁画を実際に目の前にした時。

 

緊張と勇気と達成感でいっぱいでした。

息を飲み込んでしまうほどの感動でため息がつきました。あの時感じた、生きる使命を少し感じました。

 

年齢によって感じ方は違うし、体力や気力、勇気の量も違ってくるのはわかっています。でもその時どんなことをして、どんなところへ行って、出会った人々や経験した感情やトキメキは今でも思い出せる。

 

それは日本でもきっと感じることができるし、

人によっては環境を変えたほうが感じやすいのかもしれないし、息がしやすいのかもしれない。1ヶ月、3ヶ月と日本に帰国してみるともうすっかり慣れてしまって、もう帰国してから一年経つ。そうだ、昨日の一年前私は帰国したんだった。

 

感じる歳に負けないように、数字の歳に負けないように、好奇心爆発してもいいじゃないか。先が見えないことを悩んだってやってみなきゃわかんないじゃないか。

自分の人生、何年続くかわかんないけれど、選択をこれからもやっていかなきゃいけないんだろうから、やってから「後悔」も、「嬉しい」も感じるように、

人と比べない。もっと息をしやすく出来るように。

人によって幸せは違うでしょ。

あの時感じた一瞬一瞬を忘れないように。生きていかなきゃいけないんだなと思う。

 

30歳になってやって、ようやく自分や世間を客観的にそして少し現実的に見えるようになってきました。

 

オチも何もない文章ですが、

要は「初心を忘れず」です。

社会人始めてからずっと私のモットーです。

そしてどんな手段でも海外のいろんなところに行き、自分の足で自分の目で感じてみようと思います。

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Firenze