202007_自粛人生
あっという間に在宅勤務を始めてから、5ヶ月経ちます。6ヶ月目突入です。
現状を言うと、在宅勤務が慣れたのか飽きたのか仕事に飽きたのか、
やる気がある日はいい日。そんな毎日です。
一つ前の記事を読み返して、私は何も変わっていないんだと思いました。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
今の私にとっては悪いことでした。
生活のために、デザイナーという名だけのオペレーターに近いタスクを毎日こなす日々。この生活スタイルに慣れすぎたのと、動画ばっかし見ているせいか、
完全に受動的な脳になりました。
日本人だけのmtgすら、自分の意見を発するだけでドキドキする。
ましてや自分の意見なんてない。頭が何も考えていない。
私は、何も考えずに暮らして、ただ契約満期が来る日を指折り数えながら待っているだけの日々です。こんな私は人がどんなに辛い想いで生きていようが、どんなに必死で物事に取り組んでいるのかを知りません。知っても何もいうことができないです。
こういう時に脳が動かず、感情ばかり動いてしまう理性もない感情野郎です。
記憶をすぐ忘れます。昔あったこと、感じたこと、全て忘れます。
記憶障害なのでしょうか、歳だからでしょうか、本当に忘れて
あれだけお金をかけた大学時代の学習ですら綺麗さっぱり忘れました。
英語ですら、日常会話も怪しくなって来ました。
頭をフル回転させて、同じことを言います。
私は今後何をして生きたいのか。毎日をひたすら「始める」「終わる」の生活に、
楽だけど疲れました。生きている感じがしない。刺激がない。
生きる意味は?と自分にいつも問いてしまう毎日です。
誰でもできる仕事。自分を過大評価なんてしていないけれど、
前あった楽しさが今はなくただ、ただ毎日を始めて終わるだけの日々をあとどれくらい過ごすんだろう。こんなんでいいのかな。って脳の感情をコントロールする部分が言っていることを知っています。あとこのくらいの期間あるからとあぐらをかいて何もしないで、最後に焦る馬鹿野郎なんだと思います。
「人の足を止めるのは絶望ではなく“諦観”、
人の足を進めるのは希望ではなく“意志”」
20代の頃はこの言葉をいつも頭の片隅に置いて、行動してきました。
自分が動かなければ何も変わらない。
私は30代の気持ちの変化がなかなか受け入れられていないようなそんな感じがします。
行動するだけの腰の重さを感じ、行動するだけの意志は自分にあるのか?と問う。
絶望もなければ、諦めきれていない、それなのに希望もなければ意志もありません。
異常な精神状態で、どれだけ薬を飲んでも死ねなかったように、
普通の精神状態で、どれだけ薬を飲んでも死ねないのです。
それ以前に今の私は死ぬことを重く考えていないんだと思います。
無敵というよりは、ロボットのような状態です。
最近のニュースをみて、大学時代に勉強したであろう心理学について
考えました。あの時は自分のことを知りたくて、心理学を学びました。
答えがわかって学ぶことをやめてしまったけれど
今回のことでやはり興味はあるんだなと思いました。
理論では救われないとわかっていながらも、誰かに少しでも弱音を吐いたり、
どうか誰か心が少しでも一瞬でも安心できるように抱きしめてあげられる人はいなかったのか。おこがましくも自分を責める人、責め過ぎて息ができない人が少しでも減って欲しいと心から願います。
結論も根拠もない、ただの言葉をずらずら並べただけの文章を
誰が読むんだって感じですが記録として。
あなたの笑顔が本物でありますように。
自分に嘘をつかないで
心が笑っていますように。