「〜しなければいけない」というずっと追ってくるもの
走り書きで記録用に自分への戒めとして残します。
今の仕事を続けて1年半ぐらいになって、
業務にも慣れ始めてその落ち着きに安堵しながらもっと上をっていう自分がいます。
安堵が怖い、ぬるま湯が怖い。
資格勉強のあの緊張感も、たぶんその不安を感じずにいる為。ベトナムもその為。
同じ会社で働いていると慣れてしまっていっぱいいっぱいだった時間に余裕が出てくるとまた不安になってしまう。上を目指さないと、変化しないと自分の存在価値がないような気がして。
ずっと感じているのは、「出来る」の定義には文化差がとてもあって、大学時代アメリカにいたときは50%ぐらいでも「出来る」って周りは使っていて、私もそう使うようになっていた。そう言わないと何者にもなれないうような気がして使っていた。
けれど日本の「出来る」は90-100% 私が「出来る」と言っていた英語やデザインは「出来る」人からしたら、全然日本では通用しない。いつまでたっても100%は来ない。完璧主義者か私は。何を目指してるいるのかと自分に問いてしまう。
その出来るの%を少しでも上げたくて、重い腰をあげて、英語のmeetup的なのに行きました。英語で久々に自分の意見を言って、何も出てこない自分に苛立ちました。目を1.5倍見開いて、耳をいつも以上にかっぽじって臨んだのにこのざまです。いかに自分がいつもぬるま湯の中にいるのか思い知らされて撃沈しました。
同時にこの向上しなきゃという自分で作った強迫観念からずっと逃げることができないのか、ずっと薬を飲み続けて無理やり脳を動かし続けないと起きることさえできなくて、仕事すらままならないまま生きていかなきゃいけないのかという諦め感もよぎりながら、どう生きていけばいいだろうと考え続ける毎日です。
きっとこのままじゃ全てに満足しないんだろうな。実家暮らしで趣味に大金つい込んだ自分が何を言うんだと思うかもしれないけどホント恐怖です。
海外に行ってもいらないプライドが邪魔をして人とうまく関係を気づけなかったり、自分の存在価値を必死に見つけようとしたり、日本にいてもこういう刺激少ない環境でたまに感じる刺激に対処しきれなくなったり。ずっと死ぬまで繰り返すのかよこれ。
強迫観念について調べました。
そのように診断されたわけではないけれど、近いような気がして。
大学の時に勉強した強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder:OCD)とは,
強迫観念と強迫行為の両方を持っているのだそうです。
例えば、鍵を何度もチェックしたりする強迫行為は私には見当たらないけれど、〜しなければいけないという強迫観念的な考えはいつも感じるなと思います。
何を調べているんだろうと思うのですが、この不安をどう取り除くべきかで生きづらさが変わってくるのかなとも思います。
ちょっと冷静になった頭で
怠け癖に尻を叩いて、やる気を出して、
また明日からの1週間を迎えます。