Be Natural with Arts

"いつもこころに太陽を"

202007_自粛人生

あっという間に在宅勤務を始めてから、5ヶ月経ちます。6ヶ月目突入です。

現状を言うと、在宅勤務が慣れたのか飽きたのか仕事に飽きたのか、

やる気がある日はいい日。そんな毎日です。

一つ前の記事を読み返して、私は何も変わっていないんだと思いました。

それがいいことなのか、悪いことなのか。

今の私にとっては悪いことでした。

生活のために、デザイナーという名だけのオペレーターに近いタスクを毎日こなす日々。この生活スタイルに慣れすぎたのと、動画ばっかし見ているせいか、

完全に受動的な脳になりました。

日本人だけのmtgすら、自分の意見を発するだけでドキドキする。

ましてや自分の意見なんてない。頭が何も考えていない。

私は、何も考えずに暮らして、ただ契約満期が来る日を指折り数えながら待っているだけの日々です。こんな私は人がどんなに辛い想いで生きていようが、どんなに必死で物事に取り組んでいるのかを知りません。知っても何もいうことができないです。

こういう時に脳が動かず、感情ばかり動いてしまう理性もない感情野郎です。

記憶をすぐ忘れます。昔あったこと、感じたこと、全て忘れます。

記憶障害なのでしょうか、歳だからでしょうか、本当に忘れて

あれだけお金をかけた大学時代の学習ですら綺麗さっぱり忘れました。

英語ですら、日常会話も怪しくなって来ました。

 

頭をフル回転させて、同じことを言います。

私は今後何をして生きたいのか。毎日をひたすら「始める」「終わる」の生活に、

楽だけど疲れました。生きている感じがしない。刺激がない。

生きる意味は?と自分にいつも問いてしまう毎日です。

誰でもできる仕事。自分を過大評価なんてしていないけれど、

前あった楽しさが今はなくただ、ただ毎日を始めて終わるだけの日々をあとどれくらい過ごすんだろう。こんなんでいいのかな。って脳の感情をコントロールする部分が言っていることを知っています。あとこのくらいの期間あるからとあぐらをかいて何もしないで、最後に焦る馬鹿野郎なんだと思います。

 

「人の足を止めるのは絶望ではなく“諦観”、
人の足を進めるのは希望ではなく“意志”」

 

20代の頃はこの言葉をいつも頭の片隅に置いて、行動してきました。

自分が動かなければ何も変わらない。

私は30代の気持ちの変化がなかなか受け入れられていないようなそんな感じがします。

行動するだけの腰の重さを感じ、行動するだけの意志は自分にあるのか?と問う。

絶望もなければ、諦めきれていない、それなのに希望もなければ意志もありません。

異常な精神状態で、どれだけ薬を飲んでも死ねなかったように、

普通の精神状態で、どれだけ薬を飲んでも死ねないのです。

それ以前に今の私は死ぬことを重く考えていないんだと思います。

無敵というよりは、ロボットのような状態です。

 

最近のニュースをみて、大学時代に勉強したであろう心理学について

考えました。あの時は自分のことを知りたくて、心理学を学びました。

答えがわかって学ぶことをやめてしまったけれど

今回のことでやはり興味はあるんだなと思いました。

理論では救われないとわかっていながらも、誰かに少しでも弱音を吐いたり、

どうか誰か心が少しでも一瞬でも安心できるように抱きしめてあげられる人はいなかったのか。おこがましくも自分を責める人、責め過ぎて息ができない人が少しでも減って欲しいと心から願います。

 

結論も根拠もない、ただの言葉をずらずら並べただけの文章を

誰が読むんだって感じですが記録として。

 

あなたの笑顔が本物でありますように。

自分に嘘をつかないで

心が笑っていますように。

 

 

stay home

本当に本当にひっさびさにblogの更新します。

何を伝えたいってわけでもないけど、最近ぼんやり考えてることを吐き出そうかと思います。

自粛生活1ヶ月経って、でもテレワークはその前から始まっていたので

もう在宅勤務は2ヶ月すぎて、あっという間の3ヶ月目突入になりました。

会社勤務が苦手すぎて、在宅勤務になるって聞いたときは飛び上がるほどわくわく嬉しかったけど、今はこの生活を「日常」と考えたときにどうしたら生きていけるかを冷静になって考えています。

よくアフターコロナの生活は今までと違って、通常が戻ってくるのではなくて、新しい生活方式が始まると様々なメディアの人は言っているけど、本当にそう感じています。

 

オンラインで会議出来ちゃうじゃん。オンラインで仕事変わらず出来ちゃうじゃん。

私は幸いなことにむしろ忙しく働けてますやん。オンラインで好きな人達だけ集めて安上がりで飲み会も出来てますやん。ってだんだんわかってきちゃったから、もう後戻りをする必要ないよね?って話なんだよね。人間関係で毎日悩んでいたのにそのストレスほんと今感じてないなって思います。(人に会えないのは寂しいけれど)

 

なんなら、働く場所のことだって、

私はいまだに海外?日本?ってことをすごく考えているけれど、

オンラインだったらどこいても一緒だよね。って話になってきます。

海外だったらvisaのこともあるし、言語の壁もあるけれど、突き詰めていけば

どこにいたって結局は「どんな生活をして生きていきたいか」という問いにたどりつきます。

あともし在宅勤務に完全にシフトするなら、引越しで職場までの通勤時間で住むとこ絞らなくても、ちょっと郊外で安くて広い部屋借りた方がいいのかなとも思っていたり。

 

選択肢が広がるばかり。

さて仕事はネット関係の仕事がもっと多くなってくると思うし、

どう生き残るか、次どんな仕事につくか(年齢的にも)、

また楽しめて成長できる仕事を探していかなきゃなーとぼちぼち来年のことを考えています。

動けない今、どう動けるだろう。

今は部屋でどう快適に過ごせるかと考えて、観葉植物やディフューザーやヨガマットなどカートに入れています。あとはinputの時期として勉強したいかな。

(資格試験が延期になったので、一度この勉強はstop.本を読むでも他の勉強でも何かinputな時間は取れるよね。)

 

ネットを見るとみんなでこの苦境を乗り越えようとしている感じがすごいなぁ、

そしてみんなが今できることを考えて発信しているのは本当にすごいと感動しています。同時にもうちょっと長い視点を持ってこの苦境を考えなくてはいけないと思っています。私には何ができるだろう。仕事以外の時間をどう過ごすかが近い将来の自分に返って来るんじゃないかと思っています。何もしなければ、何も残らない気もしています。不謹慎かもしれないけれど、自粛のこの時期をもっと大事にしたいと思いました。

 

もうちょっとちゃんと考えよう。

来年の私はどうしているだろう。3年後の私はどうなっていたいだろう。

 

stay home. stay positive.

be healthy, take care of yourself:)

 

 

2020年明けまして

明けましておめでとうございます。

随分ブログの更新の間隔が空いてしまいました。

もう少し気楽にサクサク更新できればしたいなーと思っているところです。

 

新年も明けまして、大きく二つ出来事がありました。

1つは昨年末に叔母さんが他界しました。

親戚づきあいがあまり得意な方ではない私にとって結構距離感が近くお話しできる叔母さんで、歳はまだ60歳前半での早い他界でした。

危ないと母づてに聞いてから1週間、今週末はお見舞いに行こうと思っていた前日の金曜日、仕事から家に帰って今亡くなったことを知り、すぐ病院に駆けつけました。

1時間前は息していたその体はまだ温かくて、こんなにも人の死を目の当たりにするのは10年ぶりぐらいでしょうか。お化粧をささっとしたその姿はまだ眠っているようで、現状が信じがたかった。私より年下のいとこは涙しつつもテキパキことをこなし、その横で無力な私は涙をこぼしながら一言も言葉を発せずに叔母さんの顔をただただ見つめていました。

それから1週間後に無宗教のお通夜や告別式をし、若くして亡くなった叔母さんの人生を彼女の友人やご家族から知りました。ここ6年間、がん治療で自ら治療を選び探し抜いて頑張っていたこと。多くの仲間に支えられていたこと。ベトナムでの里親支援をしていたこと。叔母さんは私がベトナムに行くことに唯一興味を持ってくれる方でした。

 

ひと段落ついて、喪中ではありますが家にそのご家族を呼びささやかながら食事をして年明けをお祝いしました。私はこのような場所は本当に苦手だったけど、その時はとてもいい時間を過ごしたなと心が温まるような感じがしました。悲しいけど、癌の経過を横でずっとみてきたご家族は肝が座っていて私には到底できなかった。

これからまだやるべきことはあるけれど、

私はというと人の死について考える時間が増えました。「何が起こるかわからないから好きなことをしなさい。」「慕ってくれる人を大事にしなさい。」どこかでいつも誰かがそう呟いているかのように感じます。

でも「はて、どうやって?」がその次の質問で必ず来る。

「はて、どうやって幸せとやらを感じることができるの?」

 

そして2つ目の出来事は、一旦カフェ関係から遠のくということ。

去年を振り返ると資格勉強で忙しく、途中からバイトもはじめ飲食業界に足を入れようとしていました。副業として。周りから言われる、「あなたはカフェが本業で食べていくの?」「なんで今更アルバイト?」「どっちがやりたいの?」の質問の嵐。その度にちゃんと答えられない自分と私のもやがかかった心を置き去りしたまま、資格を取得した自分のプライドとしてアルバイトを始めました。

資格習得は形を残していない私が何かになりたかった。この歳で学校に通い、何かを学んでみたかったが大きいです。資格勉強は楽しかったし、大変だったけど、途中で気づいていました。プロ意識が高い業界なんだな、そして私の気持ちは「副業」とでしか捉えられなかった。この業界の人からしたら、マジで怒られそうですが。

 

結論、アルバイトを超ド短期で辞めました。7つぐらい離れた若い人から、教えてもらったことや注意されることを何故か自尊心を否定されたような気になったり、副業だからって本業バリに頑張らなくてはと思っていたのに、飲食業で必須な笑顔が出来なかったり、人とうまく喋れなかったりして、珈琲に触れる前に辞めたいと店長に言っていました。歳とともに自分にこびりついている無駄なプライドが邪魔をして、素直になれなかったこと。あと辞めるときに「残念です」と店長に一言言われたこと。この歳でこんな辞め方をしてしまったこと。どれも情けなくて、後悔ばかりで自分に落ち込む年明けでした。今も毎日届くバイトラインを退会できないまま、ため息をついています。

 

落ち込むことが多くて、google先生で検索していたら、さんまさんのquoteがささりました。

落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。

人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。

まさにこの通りだなと。自分のこと過大評価しすぎなんです。過小評価してたら、落ち込まないで出来たことへの嬉しさや達成感ばかりになるのに無駄な過大評価で自分を苦しめていることに気づきました。

 

年明けからこの出来事は辛いぞー!と何年かぶりに風邪になっただるさの中、書いていたら、誰も読まないであろうこんな長文になりました。

成人の日に成人から10年たった私が思うこと。

もっと柔軟に息するように生きたい。心に嘘はつけないなー!と思いました。とさ。

 

今年もよろしくお願いいたします。

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誰かのquote

 

「〜しなければいけない」というずっと追ってくるもの

走り書きで記録用に自分への戒めとして残します。

今の仕事を続けて1年半ぐらいになって、

業務にも慣れ始めてその落ち着きに安堵しながらもっと上をっていう自分がいます。

安堵が怖い、ぬるま湯が怖い。

 

資格勉強のあの緊張感も、たぶんその不安を感じずにいる為。ベトナムもその為。

同じ会社で働いていると慣れてしまっていっぱいいっぱいだった時間に余裕が出てくるとまた不安になってしまう。上を目指さないと、変化しないと自分の存在価値がないような気がして。

 

ずっと感じているのは、「出来る」の定義には文化差がとてもあって、大学時代アメリカにいたときは50%ぐらいでも「出来る」って周りは使っていて、私もそう使うようになっていた。そう言わないと何者にもなれないうような気がして使っていた。

 

けれど日本の「出来る」は90-100% 私が「出来る」と言っていた英語やデザインは「出来る」人からしたら、全然日本では通用しない。いつまでたっても100%は来ない。完璧主義者か私は。何を目指してるいるのかと自分に問いてしまう。

 

その出来るの%を少しでも上げたくて、重い腰をあげて、英語のmeetup的なのに行きました。英語で久々に自分の意見を言って、何も出てこない自分に苛立ちました。目を1.5倍見開いて、耳をいつも以上にかっぽじって臨んだのにこのざまです。いかに自分がいつもぬるま湯の中にいるのか思い知らされて撃沈しました。

 

同時にこの向上しなきゃという自分で作った強迫観念からずっと逃げることができないのか、ずっと薬を飲み続けて無理やり脳を動かし続けないと起きることさえできなくて、仕事すらままならないまま生きていかなきゃいけないのかという諦め感もよぎりながら、どう生きていけばいいだろうと考え続ける毎日です。

きっとこのままじゃ全てに満足しないんだろうな。実家暮らしで趣味に大金つい込んだ自分が何を言うんだと思うかもしれないけどホント恐怖です。

 

海外に行ってもいらないプライドが邪魔をして人とうまく関係を気づけなかったり、自分の存在価値を必死に見つけようとしたり、日本にいてもこういう刺激少ない環境でたまに感じる刺激に対処しきれなくなったり。ずっと死ぬまで繰り返すのかよこれ。

 

強迫観念について調べました。

そのように診断されたわけではないけれど、近いような気がして。

大学の時に勉強した強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder:OCD)とは,

強迫観念と強迫行為の両方を持っているのだそうです。

例えば、鍵を何度もチェックしたりする強迫行為は私には見当たらないけれど、〜しなければいけないという強迫観念的な考えはいつも感じるなと思います。

何を調べているんだろうと思うのですが、この不安をどう取り除くべきかで生きづらさが変わってくるのかなとも思います。

 

ちょっと冷静になった頭で

怠け癖に尻を叩いて、やる気を出して、

また明日からの1週間を迎えます。

 

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Paris

 

日々の変化

2ヶ月空きました。

もう夏が終わり、暦的には秋が始まっています。

この間にカフェには沢山行きましたが、記事には出来ていません。

通っていた学校が無事修了しました。

久々に友達に会ったら、最新ニュースを言わなきゃいけないような強迫的な気持ちがどこかにあるのですが、あまり変わっていなく、進路に悩んでいるので

あまり誰とも会いたくないなという日々が続いています。

 

友達が海外に行ったり、子供をご出産したり、入籍報告を何度も耳にしました。

そんな中で私はただ黙々と仕事をこなし、試験の勉強をして毎日が過ぎて行きました。

先ほども言ったように学校が修了し、試験も終わったことで

久々に学生のように勉強した日々も仕事が大変だった時期も試験への今までにないほどの緊張も全てが一気にきて全てが一気に終わり、緊張が解けたのか

ひどかった肌荒れが治ってきたり、訳も分からない熱っぽさや風邪っぽさが出てきています。完全に解放されて気が抜けた感じで体調を崩しています。

 

私は見切り発車は多いのかな、いつも人生遠回りしているのかなと思っています。よくよく考えれば近道はあっただろうに早く行動をしないと自分が変わらないことの恐怖で先に行動してしまい、後で後悔することも多いですが、その時はその決断でいっぱいいっぱいだったんです。いつも。

 

そんな中、これから3年後、5年後漠然とどうしようかなと考える一方で

ベトナムで過ごした日々が最近すごく鮮明に思い出します。

戻りたいのか、いや違う。あの時はあぁだったな、あの時もこうだったな。と寂しい気持ちがとても多いことに気づきます。ひとつだけ今でも後悔していることがあってそのために私は生きなきゃと思っています。

 

ベトナムに行ったからこそわかったことがあります。

行かなかったら起きなかったこともあります。でも今は今で過去は変えられない。

だからこの漠然とした不安を抱えながら、求人を探したりしています。

私どうなりたいんだろう。本当に心に決めた目標って口に出すのが怖い。ということを感じました。変な感情ですね。そして、帰国してから何故か過敏が増しました。

街の音や電車のキーキーという車輪の摩擦音や小さな虫や見えない菌、人の目にまで過敏になっています。社会に影響するレベルですね、これは。

 

カフェのことを何一つ書いていない呟きだし、

まだ日常に自分の作ったものがあってそれが人に届いていると思うと体を飛び越えるくらい嬉しさが込み上げてきてしまうし、勉強してきたことも楽しかったなぁと思って達成感を同時に感じて混乱している日々です。

 

ちゃんと自分と見つめ直そう。台風、心配だけど無事に通り過ぎてくれよな。

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もうすぐ真夏。

7月が終わろうとしている中、無理やり月2記事と決めたので、日記blogを書こうとしています。

最近はもう口だけやりたいことを言ってもかっこ悪い歳になったなと思うようになりました。羞恥心を感じてしまいました。

....というのも最近、進路について考えていて、皆平等に与えられた週7日をどのように過ごすかを考えています。

今の本業は月〜金の5日で、これから終わろうとしているカフェスクールの後に土日でも働けるとこを探そうかなと思っています。

休みなくなるじゃん!って感じで正直体力が持つかビビっているし、働きすぎて目的を見失わないか不安ですが、今のところこの予定で考えています。

 

そもそも最近思い出したことと感じたことがあって、思い出したことはなぜカフェに関わりたいかというのはプロフィールにも少し記載していますが、本業をやっているとどうしてもデスクワークは健康にあんまり良くないんじゃないかと思ってしまい、そんな中一息つける口実がタバコや珈琲が現状であると思うんです。

私はタバコは吸わないので、わからないですが、その一息がコーヒーで言えばその一口が癒しであってほしいし、私はその一口が美味しいとその後の仕事が集中出来るんです。だから人間としての食欲であるその一口を美味しいものにしたい想いがあります。

昨日はなぜか録っておいた録画や見た動画がたまたまイギリスロンドンのことで驚いたのですが、「みんなビールを飲む時間やそーいう社交性の場をとても大事にしていて、人生を豊かに過ごしている」(要約)のような表現がありました。

私は歳を重ねるにつれて、人間は食べる、寝る、休む、人と話す、そーいう当然のことが大事なんじゃないかと思うようになってきました。向上心があって、何か新しいことをすることにも興味はとてもあるけれど基本は健康であり、人間らしい生活ができていることなんじゃないかと思いました。

 

大学時代の絵をカフェに飾らせてもらえた嬉しさの経験がどこかいつも心の中に残っていて、そのようなスペースを作りたいなと思っています。思ってるだけじゃダメな歳に来てしまったから、まだ進路は不明確だけど何かしら行動した今この頃であります。

この歳だから遅いとかはない。そう思っています。

未来がどうなるわけかわからないけれど、人生を豊かにして生きていきたいです。

 

長くなったので、後もう一つはさらっと。

この前映画館で、蜷川実花監督の「Diner」を観ました。蜷川さんの色彩感が前から好きで毎月のデスクトップは彼女の作品の壁紙を使用しています。観て、感動というより圧倒されてしまいました。色彩感は想像してた以上のものだったし、映像なのにどこで一時停止しても画になる色彩美と作り込まれたセットや役者の圧巻の演技。眼球の裏に残るあの映像に映画が終わった直後は言葉を失いました。人間が持ち合わせている感性や欲望をもろに刺激する映画でした。そしてこの演出を作り出せる彼女の才能や感性に圧倒されました。時間はみんな平等なのに同じ景色を見てても彼女にはどう見えてるのだろうと泣きたいほどの好奇心が湧きました。

 

たまには映画館に足を運んで、賛否を浴びること前提で自分の言葉で感想を述べることって大事だなと思います。自分が何を考え、感じたかが文字になって浮き彫りになって再実感するから。

私は「表現者」という言葉はあまり使いたくない。でも否めないなと。絶対に存在するから。みな表現者になれるし、人の心を動かすことができる。

 

来月は早めの夏休みをとったので、それまで仕事頑張ります!

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Mt.Fuji

 

 

築地ならではのあの光景をここで!【Turret Coffee】#5

みなさん、梅雨の時期どうお過ごしですか?お日様が出ないとどうにもこうにも気分が落ち込みやすくなる傾向にありますよね。この前、通っているヨガのクラスで先生がおっしゃってたことに少し元気をもらいました。

「丸まった背中や縮こまった肩の姿勢でいると落ち込みやすいものです。肩を大きく回して、胸を開いて深呼吸をしてみましょう。落ち込もうという気分になるのが難しくなりますよね。」「部屋の中でも洋服でも少し明るい色を取り入れてみましょう。そうするだけで気分はだいぶ違うものになるものですよ」

さぁ、1週間の天気予報にお日様マークがない週でも自分の好きなことをして、気分を上げていこうと思います! 

Cafe report#5

【Turret Coffee】築地店

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cafe5_turret coffee_看板

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cafe5_turret coffee_外観

今回のカフェは「Turret Coffee」築地店に行ってまいりました!

ここは築地駅から出口に出て、本願寺を背にしてスターバックスの横の道を入るとすぐにあります。

店名の意味

日本の台所と言われる築地市場豊洲に移動してから、街の光景がどこか変わりました。それは朝見かけていた、人が魚や食材の運搬に使って乗っている小型トラックみたいな台車みたいな乗り物を見なくなりました。この乗り物こそがこのカフェの店名に入っている「ターレットトラック」です。

店内にはターレットトラックが真ん中に存在感大で置いてあります。荷台には畳が置いてあって、ここも客席として使えます。

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cafe5_turret coffee_内観01

「ファクトリーな雰囲気」をイメージしたという店内は、改装前にもともとあった金属のドアをカウンターに使うなどの工夫を凝らした造り。3月上旬までは実際のターレットトラックを展示しており、同トラックの荷台部分に座ることもできる。席数はテラスを含め10席。

(引用先:https://ginza.keizai.biz/headline/2455/

 お店のメッセージ

オーナーの川崎清さんはスタバの社員として働いた後、「Free Pour(フリーポア)ラテアート」世界チャンピオンの澤田洋史さんがオーナーのコーヒーショップ「STREAMER COFFEE COMPANY」で修行されたそうです。

ちなみにFree Pourラテアートとはピック(楊枝のような先端の細いもの)を使わず、ミルクピッチャーだけで作るラテアートのことです。これはリーフやハートなどですね。技術が必要なとてもスキルが高いデザインになります。

逆にピックなどを使って描くものをデザインカプチーノ/ラテと言います。熊やウサギなど顔のついているもののほとんどがピックで描かれていますね。

「開店から3カ月がたち、常連のお客さまも増えてきた。出勤前のビジネスマンをはじめ、近隣の店の方、築地の買い出しの後に寄ってくださる方も。『どんな店なの?』と興味を持っていただいたり、『頑張って』とエールを頂いたりと築地の下町らしい温かさを感じている」

「お客さま同士の出会いや交流が生まれたり、何かのきっかけになったりする場所にしていきたい。フラッと気軽に来ていただき、おいしいラテを飲みながら至福のひとときを過ごしていただければ」 

(引用先:https://ginza.keizai.biz/headline/2455/

...とオーナーさんの思いが込められたカフェです🎶

ロゴ

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cafe5_turret coffee_logo/menu

 

お店のロゴはまさにターレットトラックです!店名の頭文字からとった「tc」のロゴが入ったターレットトラックで、コーヒー豆を荷台に積み、走っているイラストですね。

Turretは流れるようなフォントで、COFFEEはゴシック系のフォント使用しています。

 写真は次に紹介しますが、コーヒー紙コップやマグカップにもロゴ入っていました。

ラテとエスプレッソが有名と聞いていたので、カフェラテをオーダー!

マシーンはこんな感じ。

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cafe5_turret coffee_machine

エスプレッソマシーン:以前はシモネリのアウレリア2を愛用していたそうですが、私が訪れた時はVICTORIA ARDUINOというマシーンに変わっていました。工事現場のような塗装がインパクト絶大で目を引きますね!

そしておわかりの通り、レジ兼作業台がドアの扉なんです。なんともユニークなDIYですね^^

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cafe5_turret coffee_Latte

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cafe5_turret coffee_Latte Art

 ロゴが入ったテイクアウト用の紙コップに入ったカフェラテは、何と言ってもまず白と黒のコントラストが強い!色に驚かされました。ダブルショットエスプレッソが入ってるんじゃないかってぐらい濃い色でした。今度行った時になぜ色が濃いのか聞いてみようと思います。
そしてmilk formのキメの細かさよ...こんなラテが作れるような日が来ればいいなと練習ですね。ラテアートは細いハート。ミルク少なめの注文にしたので、このような細長いハートになったのだろうか...やり方が気になるところです。

 感想

職場の近くで美味しい珈琲が飲めるところを探していたら、このお店に行き当たりました。ブレンダーの音が心地よく、小さなスペースでも様々なこだわりが見えるお店でした。印象的だったのは、テイクアウトの紙コップで頼んだら、蓋を店員さんがするお店が多い中、このお店は自分で締める式。ラテアートをまず見れるから嬉しかったです。今度はマグカップでゆっくり過ごしたいですね。そしておすすめされているロゴ入りどら焼きと一緒にターレットラテ(リーフを描きてもらいたい:D)を飲みたいと思います。今度行った時は、店員さんに上手くラテアートを描くコツとか聞いちゃいそうです。仕事の合間にふと一息、ほっとできる珈琲。明日また行こうかしら。私の未熟な味覚ではまだブラックで飲みたいけど、このお店ではラテかカプチーノを飲んで、ラテアートを楽しみたいなぁと思います!

 

Turret Coffee

住所: 東京都中央区築地2-12-6 SK東銀座ビル

営業時間: 07:00~18:00(月-土)12:00~18:00(日、祝日)
定休日:  不定

HP:https://www.facebook.com/TurretCOFFEE/

video:https://www.youtube.com/watch?v=gtjbbiJhXtk&feature=youtu.be